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夏合宿

当団では、結成当初より夏に合宿での強化練習を行っていた。学生時代と違って、社会人の集団なので土日を利用しての1泊であったが、前日の夜から前泊するメンバーも多くいて、団員同士の交流の場として大いに盛り上がったものである。

合宿場所は清里の「清泉寮」を利用。自然豊かで空気も食事も美味しい素晴らしい環境のもと、土曜日丸一日と翌日曜の午前中思い切り鈴木先生や仲間と合唱活動に浸り、終わったらすぐ翌年の予約をする、という繰り返しで毎年長らく続けていたが、メンバーの生活環境の変化(結婚・出産・子育て・仕事の都合等々)により、主に女性団員の出席率の低下はいたしかたなく、残念ながら2006年夏で合宿練習は終了となった。

(翌2007年は前年の予約を用いて練習抜きの「レクリエーション合宿」を行い、都合がつくメンバーのみで最後の清泉寮を満喫することができた。)


通常の練習活動以外の出来事や思い出など
 

アンサンブル大会

夏合宿の夜は、食事後に全員で広間に集まり大宴会をおこなっていたが、お酒が進むにつれ次第に皆で持ち寄った昔の楽譜を手に誰からともなくあちこちでアンサンブルの輪が出来上がる、というのが常であった。(これは場合によってはかなり夜更けまで続き…)

ある年から、他の宿泊客への迷惑にもなるので、歌うなら早い時間に(もちろん宴会に組み込まれた状態で)…となったのが、発表会形式の「アンサンブル大会」の始まりだったように記憶している。

事前に組をつくってしっかり練習をして発表する、というのは酔った勢いで楽しく歌うのとはまた違った醍醐味があり、鈴木先生のソロの歌唱を直接耳にすることのできる数少ない貴重な機会でもあった。

​夏合宿の中止に伴い、このアンサンブル大会がなくなってしまったのは大変残念だったと多くの団員からの声があり、2008年~は年末最後の練習日をこれに充てよう、ということとなった。グループでの合唱だけでなく本格的なソロ曲に取り組む者、歌以外の楽しい余興の披露など、(隠された)団員の実力に驚かされる企画でもあった。

ただ、最もこれを楽しんでおられた鈴木先生が亡くなられたことにより、学生の家での会は2011年が最後となってしまった。その後団員の自宅を利用しての有志での企画が2015年に一度成立し、田崎先生もご参加くださったが、なかなかその後は機会に恵まれてない。2020年のコロナ禍以降、集まって自由に歌を歌う、発表するということ自体がままならない状況が続いているが、いつかまた以前のような喜びを分かち合える日が来ることを願うばかりである。

​バーベキュー大会

合宿と同じく、夏のお楽しみの一つが、鈴木先生のご自宅のお庭で行われる「バーベキュー」であった。もちろん全員とはいかないが毎年20~30名程度の団員が集まって、お庭に設置されたいくつかのバーベキューコンロを囲んでビール片手にひたすら肉を焼き、思う存分食べ、語る…というもの。小雨が降ろうと、蚊にたかられようと何のその、今思えば火起こし肉奉行担当の方はかなりのご苦労だったことであろうが、事前準備(先生ご自慢のオイキムチ用キュウリを刻んだり、枝豆をゆでたり…)も楽しく毎年の夏のイベントとしては申し分のない素晴らしい一日となっていた。とにかく、大量の食材(漬け込まれたお肉の美味しかったこと!)やお酒のご用意だけでも大変だったはずなのに、毎年団員を楽しませようとお時間や労力を割いてくださった鈴木先生や奥様にはただただ感謝するしかない。

​食後のデザート、恒例のフルーツポンチが格別だったことなど、あとからあとから思い出が湧いてくる。

特別指導 

当団では、その道に秀でた音楽家の方々から特別な指導を受ける機会に恵まれている。

​「団のあゆみ」でもふれた、エドワード・ウィッカム氏、やヨズア・バーチュ氏といった自らが歌手であり優れた音楽指導者である方々ら直接合唱指導を受けたほか、グレゴリオ聖歌研究の第一人者である先生から中世の記譜法、ネウマ譜の読み方を学んだり、と貴重な機会が得られた。

また、田崎先生にご指導いただくようになってからも、

英国の教会音楽を取り上げた2016年には、テノール歌手の辻 裕久先生に英語の発音発声について手ほどきを受けたのは記憶に新しい。

もちろん、通常練習で田崎先生がご不在の場合には発音発声ご担当の大島 博先生が、練習開始時の発声練習からみっちりご指導くださるのも大変ありがたいことと受け止めている。

練習後の愉しみ

 

練習が終わるのは土曜の夜9時過ぎ…ということで、たいていその後は集まって飲みに行くというのが昔からのお決まりのパターンである(もちろん、団員皆というわけではないけれども…)。「学生の家」はJR大久保駅から徒歩4分、新大久保駅からは7分の位置にあり、日によってどちらかの駅近くの店で…ということになるが、何故か人気の韓国料理屋を目指すわけでは無く、たいてい行く店は決まっている。
思えばもう30年以上に渡り新大久保・大久保に通っているメンバーもいて、様々な出来事とともにこの街が次第に様変わりしてきた変遷を思い出すと何とも感慨深い。かつて毎週のようにお世話になった居酒屋も今は無くなり、店長や従業員の顔も忘れかけてしまっているのも寂しいことであるが、もちろんずっと頑張っている馴染みの店もあるし、練習後の満ち足りた気持ちで仲間と盃を傾けられること、そしてずっとそのような仲間がいるということは大きな喜びである。
もちろん鈴木先生も電車で通われるようになってからは足しげく、そして田崎先生はコロナ禍前まではほぼ毎回(!)練習後にも必ずお付き合いくださった。実はその少し前に田崎先生から、「東バロの指導を始めた頃に印象的だったのが、【乾杯のビールの次のおかわりの驚きの速さ】だったのに、あれから10年経ってやっぱり皆ちょっと落ち着いちゃったよね…」と伺って、時の流れ?を感じ結構しみじみしたものだったが…。
今は練習後だけでなく、年末恒例の忘年会など多くの団員と集い語らう時間が失われていることがどうにも物足りない。「思い切り歌える」ことはもちろん、早く安心して大勢で飲食できる世の中に戻りますように。​

ボイトレのこと 

合唱団全体の実力の底上げのために、団員個々人の歌唱力を上げることは重要である。長年「合唱」には親しんでいたとしても、それだけでは得られない技術レベルの向上につながる専門的なボイストレーニングを受けられるように、と、鈴木先生も昔からご自宅でのレッスンの機会を団員にご提示くださっていたのだが…。
やはりソロレベルの歌唱指導につながるレッスンは合唱団員にとっては敷居が高く、なかなか積極的かつ継続的な受講者が現れなかったことから、鈴木先生は本練習の時間に「学生の家」の別部屋で一人あたり20分、一日に5人あらかじめ順番を決めご指導くださった(確かシステム的に行われるようになったのは2008年頃からだったか?その間の本練習は団内指揮者が担当した)。
ボイストレーニングは団員全員必ず受講すること、として定期的に行われ、何度やっても「歌」にまで到達せず発声練習的なレッスンから進まない者も多かったが、それでももちろん着実に成果は出ていたし、今思えば大変恵まれた機会にただ甘えていたようにも思う。
鈴木先生が亡くなられて10年、田崎先生の音楽性とご指導にふれ、今では個人的に発声指導担当の大島先生はじめプロの声楽家の先生に継続的にボイストレーニングを受けたり、別の合唱団にも所属して歌う機会を増やしたりして、積極的に上手くなろう…という姿勢の団員もかなり増えている。もはや年齢的には「ベテラン」の域に達した団員も多いが、まだまだ「伸びしろ」は十分あるに違いない。

​学生の家のこと

東京バロック合唱団では1986年の創設時以来、大久保の「学生の家」をホームグラウンドとして練習を続けてきた。
故・鈴木仁先生は、2000年12月までの15年間、当団の母体であった「早稲田大学・日本女子大学室内合唱団」の常任指揮者を引退されるまで、土曜日の午後に早稲田近辺でそのご指導を行われたあと、自ら車を運転し大久保まで移動、夜は引き続き当団の指揮にあたってこられたが、(実はその日の午前中に広島から飛行機で帰京されることもあったそうで)「学生の家」はそうしたご多忙な先生のスケジュールにとってもまさに都合の良い場所であった。
誰がどのようにしてこの場所を選んだのか、今となってははっきり把握しているメンバーも少ないが、単に利便性のだけでなく、最も重要な「声・音の響き」の面でも「学生の家」は他のどこにも代えがたい練習場所である。長きに渡り、ここで練習することが当たり前となっていた我々であるが、コロナ禍において臨時合唱団として別の施設を使用してみた時、どんなに「学生の家」が素晴らしい場所であったかを図らずも思い知ることとなった。
「学生の家」が合唱活動での貸出を再開するにあたって、まさに「長年のつきあい」のある当団がまた以前と同じ時間帯に利用できるよう配慮してもらえたことは大変嬉しくありがたいことである。今後もこの素晴らしい場所で練習を続けていけることに感謝し、このつながりを大切にしていきたい。

​東京バロック合唱団 Tokyo Barock Chor

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