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1986

東京バロック合唱団結成

1989.10.21
​早稲田大学・日本女子大学
室内合唱団
創立30周年記念演奏会
1992.12.26/27
​プロムジクス神奈川
​第77回定期演奏会
1994.5.1
​初期バロック音楽の夕べ
(第271回パイプオルガン定期演奏会)
東京バロック合唱団を迎えて
1995.10.13
​東京バロック合唱団
​創立10周年記念演奏会
1996.10.29
「愛の家」チャリティーコンサート
1996.11.10
ルターとバッハの夕べ
2000.3.19
​早稲田大学・日本女子大学
室内合唱団
創立40周年記念演奏会
(東京バロック合唱団
​創立15周年記念演奏会)
2002.5.5
​軽井沢追分教会
ワークシップコンサート
2006.7.14
​東京バロック合唱団
​&
​ケンブリッジ聖キャサリンズカレッジ合唱団
ジョイントコンサート
2010.10.15
​東京バロック合唱団
​創立25周年記念演奏会
2012.3.11
鈴木 仁先生 急逝
2012.11.2
​故 鈴木 仁 追悼演奏会
​J.S.バッハ ミサ曲ロ短調
2013
田崎瑞博先生
指揮・音楽監督就任
大島 博先生
​発声・発音担当就任
2015.11.21
​東京バロック合唱団
​創立30周年記念演奏会
2016.10.12
​芝崎久美子メモリアル
音楽の花束
2017.6.10
​松居直美オルガンコンサート
2019.11.29
​早稲田大学・日本女子大学
室内合唱団
創立60周年記念演奏会
2020.3.7~
​新型コロナウイルス
感染拡大防止のため
​活動休止
2021.3.27~2022.3.26
​「臨時合唱団」として活動
2022.3.11
​鈴木仁先生追悼演奏会
2022.4.9
​東京バロック合唱団
​正式活動再開
2023.6.30
​復活後の定期演奏会
1986 東京バロック合唱団結成
 

​鈴木仁先生の指揮・指導のもとに、早稲田大学・日本女子大学室内合唱団のOB・OGにより4月に発足。学生時代と同じくルネサンスバロック期の教会音楽を主要なレパートリーとし、主に東京カテドラル聖マリア大聖堂を会場として演奏会を行うことを目的に、活動を開始した。

その年の11月の第一回演奏会は、室内合唱団OB・OG支援を受け、鈴木先生のリサイタルとして進められていた企画への共演という形で行われた。

以降毎年定期演奏会を行っており、一般からの団員も多く入団し今に至る。

​演奏会プログラムは「演奏履歴」のページに記載しているが、カテドラルでの通常どおりの開催以外の演奏会やその他の特別な出来事について、「団のあゆみ」としてこのあと簡単に解説を加えていきたい。

1989.10.21 早稲田大学・日本女子大学室内合唱団創立30周年記念演奏会
 

​母体となった室内合唱団の創立30周年にあたる記念演奏会で、現役大学生とともに東京カテドラルにてバッハのロ短調ミサ曲を演奏、東京バロック合唱団にとっても、また学生にとってもなかなか取り組むことのできない大曲を歌う良い機会となった。これに先駆け87年の6月にも室内合唱団とはジョイントコンサートを開催しており、当初の目標曲であったバッハのマニフィカトで成功を収めた。

1992.12.26/27 プロムジクス神奈川第77回定期演奏会

​同年10月の定期演奏会で共演した器楽アンサンブルであるプロムジクス神奈川が合唱作品を中心とした演奏会を開くに当たり、共演させていただいた。

​26日はフェリス女学院グロリアホール、27日は茅ヶ崎市民会館にて。

1994.5.1 初期バロック音楽の夕べ

​鈴木仁先生が長年奉職されたエリザベト音楽大学の後援、幟町カトリック教会主催によるパイプオルガンの定期演奏会。先生ご自身も何度も演奏を行われた同教会の聖堂である広島世界平和記念聖堂にてモンテヴェルディ、シュッツを歌う、というまたとない恵まれた機会であった。当団にとって初の遠征コンサートでもあり、団員との旅行を楽しみながらの広島の地での演奏は、大変思い出深いものである。

1995.10.13 東京バロック合唱団 創立10周年記念演奏会

​創立10周年にふさわしい大曲として選ばれたのは、クラウディオ・モンテヴェルディの「聖母マリアの夕べの祈り」。曲としての難易度が高いのはもちろん、演奏に必要な楽器の種類や数も多く大きな覚悟をもって練習に取り組んだ。カテドラルに鳴り響く金管楽器の神々しさは格別であった。

1996.10.29 「愛の家」チャリティーコンサート
1996.11.10 ルターとバッハの夕べ

​この年の定期演奏会は東京カテドラルではなく、10月に赤坂の霊南坂教会にてバッハのモテットを全曲、11月に新大久保の日本福音ルーテル教会で2曲を歌うというものであった。しかもチャリティーコンサートであったり、没後450年のルターにまつわる記念行事での演奏であったりこれまでの演奏会とは異なる新しい試みとなった。

2000.3.19 ​早稲田大学・日本女子大学室内合唱団創立40周年記念演奏会
(東京バロック合唱団​創立15周年記念演奏会)

​この年は当団の創立15周年と室内合唱団の創立40周年を記念し、満を持しての「バッハのマタイ受難曲」演奏会であり、前回の98年9月の演奏会から準備期間を1年半とって異例の3月の開催となった。夜7時開演の場合、東京カテドラルで演奏をするためには演奏時間の長さに支障があったので、開演が日曜の昼というのも初めてのこと。

室内合唱団有志の参加・協力もありやっと実現にこぎつけた念願の演目であったが、当団史上最も多くの聴衆を集めた演奏会であった。

また11月12日には新大久保のルーテル教会にて、「ルーテル教会の音楽家たち」と題する演奏会でメンデルスゾーン、ブラームス、シュッツの曲を取り上げ、大変充実した年となった。

2002.5.5 ​OIWAKE CHURCH WORKSHIP CONCERT

経緯は不明だが(オルガン湯口先生からの紹介?)軽井沢追分教会の礼拝コンサートの招待を受け、団として遠征。メンデルスゾーン、シュッツ、バッハを演奏し、爽やかな高原の風を感じる演奏会となった。団員Nさん知人の別荘をご厚意で宿泊に使わせていただき、前年のメサイア演奏会の録音CDを夜を徹して皆で聴いたことも思い出深い。この何年か後、Nさんは闘病の末、若くしてお亡くなりになった。軽井沢遠征の思い出はNさんの笑顔とともに団員の記憶に残っている。

2006.7.14 ​東京バロック合唱団​
ケンブリッジ・聖キャサリンズ・カレッジ合唱団 ジョイントコンサート

聖キャサリンズカレッジ合唱団の指揮者であるエドワード・ウィッカム氏と、イギリス赴任中に親交を深めた団員によって実現した企画。当団のメンバーがホームステイ先となりイギリスから日本を訪れた大学生たちの滞在の助けをしたり、文化も言葉も違う若者と一緒に練習をしたり、会場も珍しくカトリック目黒教会を利用するなど、大変印象深い演奏会となった。

ウィッカム氏は合唱指揮者であるとともに素晴らしいテノール歌手でもあり、これをきっかけに東京バロック合唱団の練習指導にも何度か協力くださった。同じく団員の知り合いであるドイツ人のオペラ歌手、ヨズア・バーチュ氏もドイツ語の歌と発声の指導のため、練習場を何度か訪ねてくださったことがあるが、これらは、すべて「指導者の立場」に決して固執することのない鈴木仁先生の深い音楽へのご理解と広い心によるものと感謝している。

2010.10.15 東京バロック合唱団 創立25周年記念演奏会

2005年には、バッハのクリスマス・オラトリオより第1,2,3,6部を演奏したが、この年はあえて20周年の記念演奏会とは銘打たず…。

それから5年、満を持しての25周年記念の大曲として選ばれたのはバッハのヨハネ受難曲。1988年に初めて、さらに1994年に2度目を演奏した時からメンバーも入れ替わりがあったが、個々人が研鑽を重ね、団としての経験値が上がった状態で取り組んだ3度目のヨハネ受難曲演奏会は感慨深いものがあった。

​またこの年、創立以来アマチュア合唱団としてバロック音楽の素晴らしさを紹介してきたことが評価され芸術文化振興基金の助成金を受けている。

2012.3.11 鈴木 仁先生 急逝

​突然の訃報に誰もが信じがたい思いで言葉を失った。当年のロ短調ミサ演奏会に向けて意気込みを語られた練習からわずか8日後。前日、広島エリザベト音大の門下生リサイタルを開催され、広島滞在中の急逝であった。広島門下生達の働きかけにより、縁深い広島世界平和記念聖堂にて翌日葬儀ミサが行われることとなり、急な月曜の朝にもかかわらず、当団からも10名超が広島へ駆けつけ葬儀に参列した。突然の衝撃に悲嘆にくれながらも、葬儀にて神父様の語られた「私は音楽で人を導く」とかつて言われたという鈴木先生の志に打たれ、尊敬の念を強くする。前日は、門下生リサイタルの出来に心から満足され、レセプションで「僕は最高に幸せだ」と語られていたという。先生が最高の悦びのうちに旅立たれたことに、深い悲しみの中にも、安堵と羨望を覚えてやまない。
葬儀に参列できなかった団員、室内合唱団OBOGの希望もあり、3月31日に都内の鈴木先生の母教会であるカトリック世田谷教会にて「お別れ感謝の祭儀」を開催。多くの人が訪れ、先生との別れを惜しんだ。追悼コンサートのかたちで思い出深いヴィクトリアのレクイエムやシュッツの曲を歌ったこと、また、鈴木先生が生前に”自分の葬儀ではこれを流す”とおっしゃった当団演奏のフォーレのレクイエム録音を会場で流せたことは団員にとって大きな慰めとなった。
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2012.11.2 故 鈴木 仁 追悼演奏会/J.S.バッハ ミサ曲ロ短調

鈴木先生の急逝で団は屋台骨を失った。団長の素早い決断と行動により、当年決まっていたロ短調演奏会を鈴木先生の追悼演奏会とすること、共演とオーケストラのインスペクターをお願いしていた田崎瑞博氏に追悼演奏会の指揮をお願いすることが決まった。追悼演奏会という目標が、団員の悲しみと喪失感を紛らわせることに一役買ったことは間違いない。カテドラルでの演奏会では、団員各々が、鈴木先生と、先生がしばしば語られた”死”とに心をめぐらせながら、心からの追悼の演奏を捧げた。

2013 田崎瑞博先生 指揮・音楽監督/大島 博先生 発声・発音担当就任

精神的支柱でもあった指導者・鈴木仁先生を失った団にとって、今後の活動をどうするかは大きな課題であり、追悼演奏会の開催以前から話し合いが始まった。
鈴木先生の存在は何物にも代えがたく時間をかけて考えたいとする団員と、求心力となる存在を失ったからこそ急ぎ体制を整えて空中分解を防ぎたいとする団員との間で葛藤もあったが、追悼演奏会を終えた12月、話し合いの結果、追悼演奏会での指揮指導を担っていただいた田崎瑞博氏、大島博氏に、指揮・音楽監督と発声・発音指導をそれぞれ正式にご依頼することが決定、両先生のご承諾を得て、翌2013年から新たな東京バロック合唱団がスタートした。
長い年月、鈴木先生のもとで何度も共演を重ね、鈴木先生が厚く信頼されていた両先生にご指導をお願いできたことは、団にとって幸運であった。大きな変化となったが、常に鈴木先生と団の歴史に敬意を払って相対してくださる両先生には深い感謝の念に堪えない。
2015.11.21 ​東京バロック合唱団 ​創立30周年記念演奏会

田崎先生を指揮・音楽監督にお迎えして3年め、創立30周年の記念演奏会ではバッハのマタイ受難曲を取り上げた。器楽奏者である田崎先生の音楽性と大島博先生の発声指導により、当団は新たな目標を掲げこれまでとはまた違った歩みを始めたわけだが、この時が初めての本格的な音楽ホール、紀尾井ホールでの定期演奏会となった。

​「教会音楽をカテドラルで」という鈴木先生の強い思いとは違った形ながら、田崎先生の熱意あふれるご指導のもと、団員一丸となってこの大曲を歌い切ることができた。

この年には当団の長年の活動が認められ、三菱UFJ信託地域文化財団からの助成金ならびに芸術文化振興基金の助成金が受けられたことで、紀尾井ホールでは舞台上に字幕表示の電光掲示板を設置することができ、これも当団史上で特筆すべきことと思われる。

この演奏会では、団員の実力レベルの底上げを狙い、田崎先生のご発案で7月にプレリハーサルコンサートを行った。これはすべてのソロ部分も団員が分担するというもので、本番の数カ月前にある程度の完成度を目指さなければならないうえに、ソロに見合う歌唱力も身につけるように、というもので、団員それぞれがボストレーニングを受けたりと努力を重ねたものである。

この試みは、2019年の定期演奏会でヨハネ受難曲を取り上げたときにも同じく7月にも行われた。

2016.10.12 芝崎久美子メモリアル 音楽の花束
 

3年前に亡くなられたチェンバリストの芝崎久美子さん。田崎先生はじめ交流が深かった音楽家の方々が企画・出演なさった追悼演奏会で、当団が合唱担当として参加させていただき出演者としても大変心に沁みる音楽会であった。芝崎さんは当団では直接お世話になったことは無かったが、この数年後に、これまで何度も共演させていただいたフラウト・トラヴェルソの中村忠さん、リコーダーの江崎浩司さんが他界されたことも大変寂しく残念でならない。

2017.6.10 松居直美オルガンコンサート

武蔵野市民文化会館小ホールにて。当団全員ではなく有志の参加で、バッハのコラール数曲を松居直美さんのオルガン演奏で歌わせていただいた。他の合唱団体の参加もあり、大変珍しい体験であった。

2019.11.29 早稲田大学・日本女子大学室内合唱団 創立60周年記念演奏会

当団の母体であった室内合唱団は数年前から入団希望者の減少により存続が危ぶまれていたが、残念ながらこの60周年記念演奏会のあと解団することとなった。

この記念すべき演奏会でバッハのマタイ受難曲を…というのは、2000年の定期演奏会の後、鈴木先生から室内合唱団の指導を引き継いだ青木洋也氏の悲願でもあったため、室内合唱団OB・OGが集まって現役大学生と同じステージに立つことになったが、東京バロック合唱団からも有志が参加し、心に残る素晴らしい演奏会となった。

2020.3.7~ 新型コロナウイルス感染拡大防止のため活動休止

発足以来、ほとんど毎週土曜日に練習を続けてきた当団であったが、練習場所である学生の家からの自粛要請もあり、この日からその後約2年間、正式な活動を休止することとなった。

その間、オンラインで役員会議を開いたり、7月から毎月Zoomでの飲み会を開催するなど田崎先生ならびに団員間の交流は欠かさないよう心掛けたが、合唱団員として共に歌えない辛さは何をもっても補えないものだと痛感した。

2021.3.27~2022.3.26 「臨時合唱団」として活動

2020年3月の活動休止以来、当団ではコロナの感染拡大防止のため合唱活動を控えるべき、との考えを基本的に尊重していたが、21年3月からはいろいろな団員の立場を慮り「演奏会を目的とせず、団の有志のみの集まり=臨時合唱団」としての活動を行った。

これは立案・企画くださった田崎先生と練習ピアニストのご尽力なしには成立しないものであり、20名弱が参加希望、ヘンデルのメサイアを練習曲として月1~2回10数名が集まって、ちょうど1年の間活動を続けた。

創立以来ホームグラウンドとして利用していた新大久保の「学生の家」の合唱使用での貸出不可が続いていたため、練習会場には毎回事前に公共施設を予約、ただし度重なる緊急事態宣言でせっかく予定していた練習の中止が続くこともあり、苦労も絶えなかった。その分、練習での満足感は高く、参加人数は少ないながらも「歌う楽しみを」という目的は大いに達成できたように思う。

2022.3.11 鈴木仁先生追悼演奏会

 

鈴木先生が亡くなって10年の節目に先生を偲ぶ会を開く提案を、鈴木先生の愛弟子、青木洋也氏からいただいた。コロナ下で団の正式活動は休止中であったが、一部に室内合唱団OBを交え20名を超える有志メンバーが集まり、鈴木先生の10年目の命日に日本福音ルーテル東京教会にて青木先生の指揮で追悼演奏会を開催、シュッツ「音楽による葬送」、パーセル「メアリ女王の葬送」を演奏した。鈴木先生の愛されたシュッツでは、ほぼ全員がソロパートを分担して歌い、追悼の心を先生に捧げた。
コロナ禍のため、少人数、小規模での開催となったが、団員と室内合唱団OBを中心とした鈴木先生に縁ある人々を招待し、「想いを同じにする人達と鈴木先生を偲ぶ時間を共にしたい」という青木先生の言葉通り、演奏者、聴衆が一体となる幸福を感じた演奏会となった。この機会を与えてくださった青木先生、そして鈴木先生に心からの感謝を捧げたい。

 

2022.4.9 東京バロック合唱団 正式活動再開

もともと、団本体の正式な活動再開へのステップでもあった臨時合唱団であったが、いつまでこの状態の活動を続けていくのか…は団全体の懸案事項でもあった。

2021年秋頃より様々に議論を重ねていたが、鈴木先生の追悼演奏会(記念合唱団の活動)終了と第6波の収束のタイミングで4月から「東京バロック合唱団」の正式活動を再開した。この頃には「学生の家」も合唱使用可となっており(長年のお付き合いもあって以前と同じ土曜の夜を優先的に使用させてもらえることになり、大変感謝している)、他のどこにも比べ難い良い響きの中、また田崎先生のご指導のもと練習できる喜びをかみしめている。

​もちろん、「学生の家」の規約に基づき、入室時検温、間隔をとること、マスク着用、​30分ごとの換気など、コロナ禍での制約はあるが、前向きに着実に、団として充実した活動を続けていきたい。

2023.6.30 復活後の定期演奏会

団員規模もコロナ禍以前の状態に復したわけではなかったが、地道な活動のもと3年半ぶりとなる定期演奏会を開催。2020年当時に計画していたルネサンス・バロック期の曲に加えて、モーツァルトのいくつかの合唱曲をとりあげた。

以下は、本演奏会に寄せてチラシに掲載した田崎先生の言葉である。

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仲間と集うことを禁じられる。

仲間と歌うことを禁じられる。

私たちが味わったこの不自由さは、決して忘れることができないでしょう。

しかし、二年ぶりに東京バロック合唱団が集い歌ったモンテヴェルディとモーツァルトの「マリア讃歌」への感動も忘れられないものとなりました。

不世出の天才による作品にふれ、あの不自由だった記憶が少しだけ遠のくように感じられた時、私たちはあらためて芸術作品へのいとおしさを思い起こしました。

​多くの皆様にもカテドラル大聖堂での歌声をお聴きいただきたいと切望しております。

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部分的な制約が残る中とはいえ、我々「東バロ」の本拠地ともいうべき場所で多くの観客に見守られつつ、慈しみの象徴・聖母マリアをたたえる作品を歌える幸せはこのうえもなく、まさに東京バロック合唱団復活の証しとなる演奏会であった。

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